「プロテスタント宣教150周年 記念大会」

プロテスタント宣教150周年の「記念大会」。きのうの「開会礼拝」は、5000人のパシフィコ横浜のホールは満席だった。出席して感じたのは、50年前の時はどうだったのだろう、という感想だった。

ところで、100年前であるが、1909年、「開教五十周年記念会」が、6日間、東京基督教青年会館で開かれている。この式典には、大隈重信が祝賀演説に立ち、時の首相桂太郎、小松原英太郎文部大臣、尾崎行雄東京市長らが、祝辞祝電を寄せている。6日間、多様な講演者が講演を行っている。

J・H・バラ「開会演説」、村上俊吉「懐旧実験談」、タムソン「障害の除去」、小崎弘道「五十年の回顧」、W・インブリー「五十年の回顧」、井深梶之助「基督教教育の前途」、原田助「教育者の養成」、松本益吉「教役者の養成」、クレメント(E. W. Clement)「日本に於ける基督教教育の情態及結果」、笹尾条太郎「基督教主義の大学」、柏井園「基督教文学」、ギュリック(S. L. Gulick)「基督教文学に関する吾人の問題及計画」、加藤直士「基督教文学」、別所梅之助「所感」、ミュラー(F.Muller)「基督教文学の必要及其供給の方法」、竹崎八十雄「基督教文学に就て」、田村直臣「基督教文学に付て」、海老名弾正「日本の倫理宗教思想及国民生活に及ぼせる感化」、新渡戸稲造「日本の倫理宗教思想及国民生活に及ぼせる基督教の感化」、藤沢利喜太郎「日本の教育並に文明に及ぼしたる宣教師の功績」、タルカット(E. Talcott)「婦人伝道学校」、本多貞子「教会に於ける婦人会」、ソール(S. A. Searle)「ミッション女学校」、和久山キソ子「開教五十年以来宗教事業としての幼種園及び小学校の略史」、小崎千代子「社会改良(イ)、矯風会、救済、工場事業」、林歌子「社会改良(ロ)、病院、孤児院、小児預所」、元田作之進「基督教と社会的観念」、M・C・ハリス「基督教と社会改良」、山室軍平「基督教と社会改良」、安藤太郎「基督教と禁酒」、平岩愃保「牧会事業」、植村正久「牧会事業」、ノルマン(D. Norman)「個人伝道」、ヘーガIー(G. E. Hager)「財政の独立」、星野光多「伝道事業」、小方仙之助「地方伝道」、ヘール(A.D.Hail)「田舎伝道」、波多野伝四郎「集中伝道」、貴山幸次郎「大挙伝道」、瀬川浅「九州に放ける伝道開始と讃美歌に就て」、留岡幸助「基督教と慈善事業」、デフォレスト(J.H. Deforest)「民族及信徒の自由に於るる基督教の影響」、島田三郎「民権及信徒自由に於ける基督教の影響」、山本秀煌「過去及将来に於ける宣教師の事実」、デヴィス「日本に於ける宣教師事業の将来」(大内三郎「日本キリスト教史」1970・日本基督教団出版局)。
ここに、カンバーランド長老教会のADヘールの名前を見出すのであるが、何よりも幅広い人脈に溢れていることに感動する。

さて、それから50年後、100周年について、ウィキペディアには、以下のように書かれている。

1959年は、プロテスタント宣教百周年記念行事が、エキュメニカル派と福音派で別々に開かれた。エキュメニカル派では日本キリスト教協議会、日本基督教団を中心として開催され、一方、福音派(聖書信仰派)はイムマヌエル綜合伝道団の蔦田二雄、ホーリネスの車田秋次、日本キリスト改革派教会のマキルエン、常葉隆興、岡田稔を指導者として、日本宣教百年記念聖書信仰運動を展開し、翌年、日本プロテスタント聖書信仰同盟の発足を見た。この働きが新改訳聖書(新約1965年、旧約1970年)の出版と日本福音同盟の成立(1968年)につながった。エキュメニカル派は世界教会協議会(WCC)と交わりを持ち、福音派は世界福音同盟、ローザンヌ運動と交わりを持っている。

なるほど、宣教50周年、宣教100周年の節目にも記念大会を催してきたが、前回は「分裂」型だったのだ。
今回、NCC(日本キリスト教協議会)系、福音派(日本福音同盟)系、聖霊派(日本リバイバル同盟)系の流れが組織的に連帯し、大規模な行事となる(実行委員会談)、というような報道があった。
しかし、参加してみた「感じ」とあえて言ったのは、雰囲気はキリスト教会の一つの流れに支配されているという感想を持ったからである。プログラムの組み立て方、普遍的ではない特別の用語、語り口調、雰囲気の作り方など、個々の教団としてはまったく問題ないものであるが、「超教派」の集会としてはキリスト教界を総合したものにはなっておらず、共同的なものにもなり得ていなかった。
賛同教会も、改革派教会、長老教会、ルーテル教会、正教会などの名前は、さっと見た感じでは、ほとんど見つからなかったと思う。しかし、これが、21世紀初頭の日本の「超教派」というキリスト教界事情なのだと思った。
「礼拝」の最後で、「献身」を表明するために起立が求められたとき、その場の空気になじまず(気持ちが引いてしまい)、5000人の中でひとり立ち上がらない人間がいたことを受け止めることができるなら、今回の大会は「一致」の実を刈り取ることも、できるだろう。(この感想は、あくまでも共同的一致の視点からの感想で、個々の教団・教派の特質を云々するものではない)。

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by rev_ushioda | 2009-07-09 19:02 | Comments(0)