「牧師の祝福」

N兄の緊急入院、緊急手術が行われた。認知症が合併すると痛みを感じなくなったり、不調を隠してしまったりするようだ。家族が気づいて病院に連れて行き、緊急入院。1週間後には、これも緊急手術となったが無事、患部を摘出。所見では転移も今のところないようで、回復を待つばかりとなった。まずはほっとした。
私たちは、礼拝から「では、また来週」と言って出発する。しかし、その1週間に起こることは、予想できない。K姉も今は礼拝に出て来れるようになったが、ある朝、突然倒れてその後大変な状況になった。いつ、どこで倒れ、次の礼拝に来れなくなるかわからない。そのまま天に旅立つこともある。S兄がそうだった。S兄も召されて、そろそろ2年になる。
だからこそ、1回1回の礼拝を大事にしていきたい。礼拝の最後に、「祝福」がある。私は、その礼拝にたとえ年配の説教者、著名なゲストを迎えても、祝福は、私がする。牧会者として、一人ひとりへの祝福はこれが最後になるかも知れないと思うからだ。祝福のためにこそ、牧師はその群れに派遣されているのではないかと思っている。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなた方一同と共にあるように。今、そして、明日も」
「明日も」というひと言は、永遠の明日を意識して言う言葉である。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
[PR]
by rev_ushioda | 2009-04-21 09:38 | Comments(0)