「人間の尊厳」
2009年 03月 31日
こうして、レグリーは鞭でトムの体を傷つけても、魂までも屈服させることはできなかったのです。ここがキリスト教信仰の要、大事なところなのです。トムの中には「自分はもうイエス・キリストに買われている。自分はその方のものだ」という強い思いがあって、これが現実の拷問、苦しみに打ち勝つ力となり、トムの人間としての尊厳性を守り抜いた、ということになったのです。キリストに買われているというのは、言い替えると、キリストはこの自分のために十字架に死んでくださった。十字架という値を支払って、私を罪の支配から解放してくださった、ということなのです。
人生の荒野・荒波の中で、何が私たちの盾となり、砦となり、私たちを投げやりの人生とならせず、私たちに人格の尊厳性を守らせるかと言うと、私たちはキリストに買われていることだと、あの小説は語っていたのです。私たちはキリストのものだから何者も私の魂を奪うことはできないのです。言い方を変えると、キリストに無条件に愛されている、ということ。私たちは一人も洩れなく、キリストの代価によって買い取られ、罪の支配から解放され、今や、神の宝とされているということです。これが人生の荒野・荒波の中で、私たち人間の尊厳を守るのです。
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