「主の祈り なんじについて」

泉教会では、カンバーランド長老教会「神の民の礼拝」編の「主の祈り」を、4月から使用することにした。
そのきっかけになったのは、従来の主の祈りに含まれる「なんじ」という言葉だった。「なんじ(汝/爾)」は、目下(めした)の者への呼びかけであって、神への呼びかけには不適切な言葉である。讃美歌21 93-5では、ひらがなになっているが、「汝」「爾」どちらにしても、「同等以下の相手を指す語で、「お前」なのだ。神に対して「お前」とは…。
これをキリスト教会で長く使ってきたのには、たとえば「汝」が「雅的表現」(『新明解国語辞典』三省堂)であるため、聖書の格調を重んじた結果であると推論できる。 明治時代に「あなた」を用いた訳もあった。しかし、聖書が一般民衆にひろく読まれるためには仮名書きにすべきこと等を主張した委員は、結局、翻訳委員会から離脱している。委員会は「汝」についての前述のような意味を知りながらも、聖書の格調を重んじたため、「雅的表現」である「汝」を用いたものと推論できる。
日本社会でキリスト者の人口がいまだ1パーセントに満たない理由についていろいろ言われているが、その一つに、このような格調を重んじる傾向が、ネックになっているのかも知れない。一般的日本人の言葉、庶民的な言葉になりきらない言葉を平気で使っていたりするようでは、壁を越えることはできないであろう。

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by rev_ushioda | 2009-03-24 00:05 | Comments(0)