「エルサレム賞」

イスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」というのがある。その授賞式がエルサレムであり、作家の村上春樹さん(60)に賞状などが贈られた。イスラエルから、文学であろうが何であろうが「賞」を受ける、ということはどういうことなんだという思いがあったが、たまたま、その全文を記載したブログがあり、読むことができた。

村椿氏のメッセージ

「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵のそばにいる」

このメッセージにはもちろんだが、ここ至る彼の心境に、私は、共感を覚えた。以下、翻訳のまま。
本当に多くの人々が、僕に「エルサレム賞を受け取りに行くな」と忠告してきました。或る者は、もし僕が受賞するなら僕の本に対してボイコットを扇動すると警告さえしました。
(略)受賞の通知を受け取ってから、僕は何度も何度も自問しました。「こんな時期にイスラエルにまで旅行して、文学賞を受け取ることは適切な行動なのだろうか?」、「僕はどちらか片方を支えることになり、圧倒的な軍事力を行使する国策を是認したと思われやしないか?」。
もちろん僕は、そんなふうに受け取られるのは御免です。僕はどのような戦争にも賛成しないし、どのような国家も支援しません。そしてむろん、僕の本がボイコットの憂き目にあうのを見たくはありません。
しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをしたくなる傾向があるのです。
あなた方は「それは小説家だからだよ」と言うかもしれません。そう、確かに小説家は特別変わった種族です。この連中は、自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じることができないのです。
それが今日、僕がここにいる理由です。僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました。

私たちが牧師としてメッセージを発していく時、大事な作業のひとつを見せてらった気がした。牧師は、いつもどっちに立つのかという狭間の中で、しかし「預言」神の言葉を語るものである。彼のような立場に立つことがしばしばある。いろいろな思いで、次の言葉を思い巡らす。「僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました」。 

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by rev_ushioda | 2009-02-20 10:54 | Comments(0)