「うんちも土産になる」

富士宮市に「奇石(めずらしい石)博物館」があります。
何の変哲もない、ただの石ですが、紫外線を当てると、その石は色とりどりの美しい光を放っていました。なるほど私たちも、ただの人、何の取り柄もないと思っている人にも紫外線ならぬ「神さまの視線、眼差し」が当てられると、このように輝き出すのだ! 私はそんなふうに思って、一人、感動してその輝く石を見ていました。
「これは何だと思いますか」と言って、係の人が取り出したものがあります。「これは、うんちです」。ナルホド、その人の手にはそれらしい格好をしたモノが乗っていました。ただし、それは何と恐竜の「うんちの化石」という説明でした。アメリカでは、先住民たちがその「うんちの化石」をペンダントにして、お土産として売っているそうです。うんちも、お土産になるのです! 汚いもの、不必要なものと見られるものも、このように発見され、拾われ、磨きをかけられ、値がつけられて、買う人は大切に持って帰る。不思議なことだと思いました。
聖書には「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して」くださったのだという言葉があります。「私たちが神を愛したのではない」。神を愛せないで自分中心に生きる、神さまからすれば、きっと、うんちのように醜かったであろう私たちでしたが、しかし神は御子イエス・キリストをお与えになったほど、それほど愛してくださった、と言うのです。神がしてくださったことを考えると、恐竜のうんちと自分がダブって見えてくるのです。そのままでは埋もれていた私たちも、私たちと向き合ってくださる方、神さまに発見されて、手にとられて、こうして値打ちが出てくるのです。私たちには、神さまが「その独り子をお与えになったほど」の、かけがえのない値打ちがあるのです。

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by rev_ushioda | 2009-02-21 18:16 | Comments(0)