「人の一生は」

徳川家康は「人の一生は重い荷物を背負って、遠い道を行くようなものだ」と言いました。私たちは、こういう言葉に共感します。天下を統一して成功を収めたような家康でさえも、やはり重い荷物から解放されなかったのだ。それなら、私が苦しいのも当然なのだ」と。問題や課題が次から次と際限なく拡がっていくと、重たい気持ちになって押し潰されそうになる。そういう自分の気持ちを、家康の言葉を持ってきて、何とか納得させようとするわけです。「人の一生は重い荷物を背負って、遠い道を行くようなものだ」と。そして、もっと頑張るのです。
ところがまた、こういう言葉もあるのです。「いのちが大切だと思っていたころ/生きるのが苦しかった」。事故で半身付随になった星野富弘さんでしたが、それでも「いのちがあってよかった」と人から言われ、自分でも「いのちが大切だと思って生きよう、しっかりしなければいけない」、そのように自分を励ませば励ますほど、苦しくなっていく自分がいたのです。ある日、病院できつねの襟巻をした人に出会いました。きつねは落ちまいとして歯をくいしばり、必死で自分のしっぽを噛んでいるように見えたのです。ああ、あれは自分の姿だ。頑張って、頑張って、苦しくなっていた。目からうろこが落ちました。そして聖書の言葉が響いてきたのでした。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。
星野さんは書きました「いのちが大切だと思っていたころ/生きるのが苦しかった/いのちより大切なものがあると知った日/生きているのが嬉しかった」。
天下を統一した家康は「人の一生は重い荷物を背負い遠い道を行くようなもの」と言い、半身付随で車椅子生活の星野富弘さんは「生きているのが嬉しい」と言うのです。あなたは、どちらでしょうか。

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by rev_ushioda | 2009-01-12 17:21 | Comments(0)