「アーメン道」

柔道とか、剣道とか、武士道とか言います。
ところで、キリスト教も、もともとは「道」と言われた。弟子の道なのです。今でこそ「キリスト教」と言うが、本来は、「道」なのだ。道だから、気分によらないで歩き続ける、そういう道なのである。
気分は動く。しかし、一旦、自分がそう決めて歩き始めた道を、気分がどうであれ、出発したのだから、歩いていく。その道はどういう道かというと、私を探し、探し続けて、ついに見つけ、体を張って守り通すと言われたキリストが道なのだ。だから私たちは、アーメン、そうです、その通りですと言って、ただ、キリストの道を行く者である。
「キリスト教」というから、おかしいことになる。清くならなければならないとか、善人にならなければならないとか、だから頑張るとか、・・・ではないのだ。そんなもの、気分次第で、へなへなになってしまう。1年と、持たない。清くなんかなれない。そうではない。あなたが(あなたこそ)真実です、アーメン、そうです、その通りですと言って、ただ、キリストの道を行けばいいのだ。
(元旦礼拝説教「アーメン」より)

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by rev_ushioda | 2009-01-02 10:08 | Comments(0)