「主の祈りにおける“なんじ”」

説教の準備をしていて、主の祈りの「なんじ」について疑問が出てきた。
調べてみると、以下の説明である。
「古くは『なむち』で、『な』は代名詞、『むち』は尊い者の意を表す語。『なんぢ』と表記されることが多い。本来は語の構成が示すように,尊敬の意を含む語。中世になると敬意を失って、同等または目下の者に対する代名詞となり、中世以降はもっぱら目下の者に対する代名詞となった。」(学研『古語辞典』)。
その他の参考。「汝」を古語の「いまし」「みまし」と発音するなら、「相手を尊敬して呼ぶ言葉」となる(『広辞苑』第5版)。
いずれにしても、明治時代、その意味が変ったにもかかわらず、聖書翻訳にあたって「汝」を用いたのは、聖書の格調を重んじた結果であるかも知れない。たとえばバプテスト派の宣教師ネーサン・ブラウンは、「新約聖書を日本人に広く普及させる」意図で主の祈りを訳した。その最終行は以下の通り。 「政事と ちからと さかへハ あなたの かぎりなき 世に たもち たまふ ものなり あめん」(『聖書之抄書』) 。彼は聖書翻訳委員会のメンバーになったが「聖書が一般民衆にひろく読まれるためには、文字は仮名書きにすべき」こと等を主張して他の委員と対立、離脱した。
こうした経緯から、委員会は、「なんじ」に問題があると知りつつも、聖書の格調を重んじたために「汝」を用いたものと推論できる。『讃美歌21』ではひらがな書きにしているが、意味は同じであろう。
結論として、文語訳で祈る「なんじ」は、訳語として適当ではないと思う。いよいよカンバーランド長老教会『神の民の礼拝』に収録されている「主の祈り」に移行を考える時が来た。
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by rev_ushioda | 2008-12-28 11:02 | Comments(0)